思い出のアルバム 


* 諏 訪 子 の お 別 れ 会


 インドゾウの諏訪子が亡くなってから9日、お別れのために訪れる人は絶えず約3,500人の記帳をはじめ、想いを綴った手紙や絵がたくさん送られ、たむけられたお花と一緒にゾウ舎前に掲示されています。
 4月19日(土)朝10時から、大勢の方々が参列され「諏訪子のお別れ会」が行われました。

諏訪子は1943年(S18)にタイで生まれました。
 1950年(S25)王子動物園の前身である諏訪山動物園に来園しました。諏訪子9才の時です。翌1951年(S26)に王子動物園の開園日に摩耶子と一緒に歩いて諏訪山動物園から王子動物園にやってきました。
 摩耶子が1956年に死亡し、翌1957年(S32)に諏訪子のお婿さんとして太郎9歳が来園しました。1962年(S37)太郎が結婚適齢期になったので、結婚式が行われました。
 諏訪子19歳、太郎14歳でした。夫婦仲は良かったのですが、残念ながら子宝には恵まれませんでした。
 1994年(H6)太郎が死亡してからは、あまり外に出たがらなくなりました。それでも食欲は旺盛で元気に過ごしていましたが、今年2月ごろから食欲がなくなり、4月10日午前5時50分飼育係が見守る中、永眠いたしました。日本で飼育されたゾウの中では最高齢の65歳で、人間の年齢に例えると100歳を越える長寿でした。

 タイ国から神戸へ来られて57年、戦後の復興期から阪神淡路大震災も経験し今日に至るまで王子動物園の歴史そのものであった諏訪子さん。永い間私たちを見守ってくれてありがとう。幼稚園や小学校での遠足で会い、大人になって子供や孫と遊びにきた時、あなたの元気な姿を見ていつもしっかりしなければと励まされてきました。
 諏訪子さんは私たち神戸市民の自慢であり誇りでありました。あなたを見て勇気や元気をもらった人々はたくさんいます。姿は見られなくなっても人々の心の中にはいつまでも諏訪子さんが生き続けています。今でも「諏訪子さん元気」、「諏訪ちゃん」と呼びかける人々に耳をパタパタさせて答える姿がよみがえります。園内の桜が満開になり、天に舞い上がるその花びらとともにあなたは旅立ちました。今日からは先立って逝った摩耶子、仲のよかった太郎やモモとともに好きなカボチャやリンゴをいっぱい食べて、広い天国で自由に駆け回ってください。そして私たちや昨年生まれたオウジを見守ってください。
 やすらかにお眠りください。楽しい思い出をいっぱいくれてありがとう諏訪子さん。

 私は諏訪子と出会って25年になります。出会った頃は遠くで見る諏訪子より近くで見る諏訪子の大きさに戸惑いました。
 本日、これだけ多くの方に見送ってもらえる諏訪子の存在に改めて驚かされています。
 私が諏訪子の担当になったのは、動物園勤務2年目からで、当初、諏訪子がいる寝室に入ろうとすると鼻で邪魔をし、入ることができませんでした。バナナやリンゴで機嫌を取りながら入ると、次第に私を受け入れてくれるようになり、掃除の時には「足」と言えば足を上げてくれ、「後」と言えば後ろにさがってくれました。
 普通、ゾウといえば危険で慣れた者しか近づけない場合が多いのですが、諏訪子はやさしくて来園者の方にも鼻を触らせたり、一緒に写真を撮られた方も多いと思います。
 諏訪子は食べ物に非常に「グルメ」で、昨日食べたニンジン、リンゴを今日は食べないとか、私には理解できない好き嫌いがありました。また、嫌いなものはハトとネズミで、寝室に入ってくると慌てて追い払っていました。
 そんな諏訪子ですが、昔は夫であった太郎を堀に付き落としたり、太郎の餌を横取りするような姉さん女房でした。
 太郎が他界してからは外にでなくなり、歩かないので爪が伸び、歩くのが困難でした。また、そのせいで爪部分が化膿し、なかなか直りませんでした。しかし、昨年、竹箒の中にノコギリを仕込ませ、上からノコギリが見えないようにする事で切ることができましたので、歩きやすくなり、外に出てくれる事を期待していました。
 今年に入って、2ヶ月前から食欲が落ち、大好物のカボチャやリンゴをあまり食べなくなりました。ゾウは毎日100kgのエサを食べます。大きな体を維持するにはそれぐらい食べないといけません。そのため、青草やカボチャ、リンゴを小さく切ったり、ご飯、ふかし芋、アンコなど考えられるものは工夫して与えましたが、なかなか食べてくれず、とうとう4月4日の夜中に立てなくなりました。飼育職員総出で手助けをすることによって、午後に立つことができました。みんな「たのむで諏訪さん。びっくりするやん。」と言って体をぺたぺたと叩きました。それでも相変わらずエサは少ししか食べません。食べたものは職員が出勤前に自宅近くの川原で刈った草やオニギリ、スイカ、アンパンなどでした。特にスイカは美味しかったのか一度に3個食べました。しかし、4月7日再度立ち上がれなくなりました。前回と違い、元気がなく、ただ見守ることしか出来ませんでした。4月9日夕方にアンパン1個を与えると食べましたので、アンコを一塊与えるとこれも食べてくれました。しかし、翌早朝に眠るように息を引き取りました。
 ゾウ舎に朝行くとまだ諏訪子がいるような気になり「おはよう」と言いますが、ガランとした諏訪子の寝室を見ると現実に引き戻されます。でも、飼育職員全員の心には元気な諏訪子が運動場にいたり、寝室で柵に鼻を巻きつけてこちらを見ています。
 ずっとみんなの心の中に諏訪子は生き続けるでしょう。
 「さよなら」そして「ありがう」諏訪子。
 本日は諏訪子のためにありがとうございました。

 「王子動物園に一番近い幼稚園なので、毎日のように訪れ、動物園は自分達の庭のように思っています。園児達が諏訪子さんと呼ぶと、片足を上げたり鼻を伸ばしたりして返事をしてくれました。若い頃は砂かけや水遊び、大きなうんちやおしっこをするところ見せてくれたり・・・すごく近いところで、諏訪子さんに接しられた事を嬉しく思っています。 愛児園の園児達をはじめ、全国からこの動物園に来られた人達が諏訪子さんのやさしい心に触れ、みんなから愛された諏訪子さんだからこそ、今日のこの日を迎えられたのでしょう。ありがとう諏訪子さん、そしてお疲れ様でした。」
園長の弔辞のあと、園児達の諏訪子さんを送る歌が合唱されました。

 諏訪子を思い、バナナやすいか、リンゴやじゃがいも、パンなどの大好物をお供えする人、諏訪子の写真入のメッセージや手紙、大きな花をたむける人、「すわこさんありがとう」という手作りボードを掲げる人・・・
「今まで諏訪子さんには結婚しましたとか、子どもが生まれましたなど色々な事を報告してきました。もう聞いてもらうことができません。」と小学生の子ども連れのお母さん、「諏訪山にいる時から知っているので、もう50年以上のお付き合い。諏訪山から市電道を歩いてこの王子動物園にやってきたとき、私もその後をついて歩きました。最近では足が悪くなったのでなかなか会いに来れなかったけど、今日は大好きなパンをもってお別れにきました。」と82歳のご婦人、主を失ったゾウ舎に手をあわせ、涙ぐむ女の子・・・

 それぞれの人生の中での諏訪子との想い出と共に、約1,000人の方がお別れ会に参列されました。
王子動物園のシンボル的存在だった諏訪子さん、ありがとう、そして安らかに・・



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